2011年の日記から~学校教育そして、幸せな大人になること
これは2011年にミクシィに書いた日記です。
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この間ボランティアアルバイトの募集を見かけたの。 明後日ですが、誰かこれませんかと。 無職だから即「やります」とリプライ。 実はね、ダウン症の女の子の学校付き添い。
みかちゃん(仮)は、小学校1年生。 親は離婚してシングルファザー。
ダウン症としてはそこまで支障がないレベルらしく、普通学級での入学をゆるされた。
でも学校側で、「3週間は付き添いしてください」となり、それが「二ヶ月付き添いしてください」となり、 果てに「やっぱり付き添い無いと通学しないで下さい」 となったらしい。
それだけ実際はたいへんってことかな、と思ったから、 覚悟して私は当日を迎えた。
そしたらみかちゃんは、私が誰かという挨拶もするまえに、目が合ったらすぐてをひっぱてくれた。 か、かしこい!!ちょっと感動した。
学校について一緒に教室に向かおうと思ったら、下駄箱前で待機。 一斉に教室に入らないといけないんだって。今時だね。
そして教室へ。 もろもろ父親と相談して父親は会社へ行き、私とみかちゃんはついにふたりっきりになった。
みかちゃんはとてもいいこで、そんなに大きくサボの必要があるという感じではなかった。
校長に呼び出されて、諸注意(子供から聞いた話を外で話すなとかそういうの) をきく。なんか、すごく嫌な予感がした。 このひと、ぜんぜん協力的じゃない。
昨日まではみかちゃんのつきそいは離婚したお母さんが来ていたそうだ。へえ。その情報私に言っていいのかな?
図工の時間。父親の絵を楽しそうに塗るみかちゃん。 周りの子より少しおくれてるし、塗り方は弱いけど、 力の加減が難しいのが分かるし、見守る。 満足げだったので、「できたの?」と聞くと首を縦にする。
完成したら先生を呼ぶことになっていたので、「先生呼ぼう」と私がいう。
弱い声で「せんせぇ!」と何度か声を出す。先生は無視。 聞こえてないのかも、と思うけど、手もあげてたのに気が利かないなと思う。
しまいに、先生の方へかけよる。 見守る私に対して先生が怒鳴る。「ちゃんと見はってて下さい!なんのためのヘルパーなんですか! 一人で歩かせないでください!」
正直、驚いて返す言葉が無かった。
席にもどるとみかちゃんは自分の髪の毛をひっぱったり、殴ったりする。
自分が怒られたって、分かってるんだね。大丈夫だよとなだめてもういっかい先生を呼ぶと先生は私に言う 「こんなの全然塗れてないじゃないですか。ちゃんと塗らせて下さい」 という。 基準が私にはわからないが戻る。
そしてもっとびっくりした、後ろでの他の生徒への叱責。
親の顔をかいた後に、絵の具で周りに水玉模様を作る課題だったんだけど、ある男の子がピンクの水玉に青い水玉を重ねたのだ。 それを見て先生が言う。
「はいみなさんみてくださーい。 たかしくん(仮名)は、先生の言う事を聞かないからこんなーに汚くなりました。 みんなもちゃんと先生のお話きかないと、ぐっちゃぐちゃになりますからね。絶対こんなことしないようにね」 と。
それからも、他のクラスが廊下で騒がしいと 「せんせいいままでいっぱいいっぱいクラスうけもったけど、 あんなにうるさいクラスはじめてです。 みんなはいい子で本当によかった!誇らしい! あんな恥ずかしいクラスになったらだめですからね」 と言ったと思えば、 「○×ちゃん、足を机の下にしまいなさい! 先生いままででこんな入学から2ヶ月もたって、 足を出すなんてみっともない子が二人もいるクラス初めてです! 本当に、本当にはずかしいです!絶対にやめましょう。いいですね?」
と。
そして図工の時間もおわりかけ、いよいよ諦めてみかちゃんのところにくると、
「みかちゃんおわらないねー。 どうしてきょうはできないのかなー、きのうまではできたのにねー。 ママがいなくてもちゃんとやるって約束したのにねー。 ママがいるうちにちゃんと終わらせておくべきだったねー。 先生、だいしっぱいしちゃった。」
ちょっとまって。離婚したこと知らないわけ無いでしょ? なんでそんなこと言えるの。 ダウン症だからわかんないとでも思ってんの。ばかなの? そして先生が離れてからみかちゃんがわたしにしがみつく。
自分の髪の毛をひっぱって、それから私の髪の毛をひっぱる。つねる。 痛い、めっちゃめちゃ痛い。でも、多分本人が一番痛い。
彼女はトイレにひとりで行けないので、いっしょについてく。
ドアを閉めたとたんにトイレではなく、私に抱きついてきた。
すごい力で抱きついて、髪の毛またひっぱられて、 いたずらな笑顔でにやってする。
こうやってお母さんと、コミュニケーションこっそり取ってたんだろう、なんて勝手に想像したら泣きそうになっちゃうのを私は我慢する。 トイレは自分でぜんぶちゃんとできた。私は結局ほとんどなにもしなかった。
そして国語と算数をやって、学校は、おしまい。
お昼になる。机を向かい合わせて、給食。
彼女は準備ができないので、待つ。じっと他の子がみかちゃんの机をやってくれるのを私が手伝うと、 「それはこどもたちでできますから!!!あなたはみかちゃんを見はってて下さい!怪我でもしたら責任取るんですか?」と。
いじめっこが首取った顔だったよ。 そして子供がぽろっと「大丈夫だよ、ぼくたちがやるから」と言うと、 別の子が「(このひとと)しゃべっちゃだめって先生言ってただろ!!」と。 どうやら私と話す事がタブーだったらしい。歪んでる、こういう学校の空間のことをもうすっかり私は忘れてしまっていた。
お昼はピザトーストとスープ。 みかちゃんがスプーンでピザトーストを食べるので、
食べにくいからみんなみたいに手でもっていいよって教えてあげるが、なかなかできない。
そこでさっきの子が「スプーンでたべてもいいんだよ」って言ってくれる。
「ま、そうだよね」というと先生がかけよってくる
「先生昨日約束したよねー。みんなは自分の事だけしてなさい、みかちゃんのことはちゃんとヘルパーさんがきてるんだからって。約束守れない子は誰かなー。」
な ん だ そ れ。
自立させる気、まったくねーじゃん。 助け合うことから人間は成長するんじゃないの? 彼女だけじゃなく、周りの成長も阻んでるの?
気づけば教室中で誰もしゃべってない。こんな小学校あるんだね。
帰りの会。
「はい、今から呼ぶ名前の子はその場でたちなさい」 といって名前を10人くらい挙げる。
「はい、みなさんいいですか。 このひとたちのお母さんと、お父さんはとっても恥ずかしいおかあさんです。 先生ちゃんとおたよりに書いたよね、 算数のしゅくだいは、お母さんにみてもらってから出しなさいって。 それが全く守れてない、 当たり前のことができない恥ずかしい親です。 先生はとってもかなしいです。 いいですか、今座ってる子は、できてあたりまえなんだけど、誇らしいなと思っていいです。 立ってる子は、おうちにかえってちゃんとお母さんに”おかあさんのせいでわたしとってもはずかしい思いしたんだよ” って話して下さい。いいですか。必ず話すように。先生すっごく悲しかった。」
と語りだした。
付け加えるように 「それから○×くん、○×くんは、おにいちゃんがやってきてくれたね、 お手紙もついててセンセイほんっとにうれしかったよ! おにいちゃんほんとうにできる子だね!よろしくいっておいてください。 ありがとう!」
だって。
冗談でしょ、冗談だって言って。自分の親をはずかしいって。
子供にとって親がどれだけ残酷な言葉かわからないっていうの?
それから、わざわざ親の代わりにお兄ちゃんが書いたことをみんなの前で発表している理由はなんなの?
別れのとき、学童保育にみかちゃんをあずけたんだけど、
いままででいちばん髪の毛を引っ張られて、しがみついてはなれなくなったり、
かばんをとろうとしたりして、ついには噛まれた。 めっちゃ痛かった。それはもう、本当に本当に痛かった。
でも、それ以上に学校でのできごとのほうがよっぽどつらかった。
こんなことがあってたまるんだろうか。 本当に、心の底からくやしくて、 1日いっしょにみかちゃんといたけど、はっきり言ってぜんぜん付き添う問題はないように思うくらい。 いや、もちろん普通にできないんだけど、 まわりの助け合いがすこしあればついていけないなりに一緒に活動できるのに。
帰り道悔しくて、悔しくて、涙がとまんなくなった。
みかちゃんに限らずとも、 本当に腹立たしいことばっかりだった。驚いた。
泣きながら保育士の姉に全部愚痴った。 悲しいけどよくあることで、自分より母親が若かったりすると、 もう親から子供までぜんぶゆとりに見えるんだって。
悩んでみかちゃんの父親に一応全部伝えたら、やっぱりって感じだったみたい。
今ちょっと思い出しただけでもゆるせない。
詳しく聞いたら、学校側がお荷物扱いしていて早く辞めさせたいのもあるみたい。
だから他にもいい先生いたのに、わざとそういう人を担任にしたんだって。 付き添い二ヶ月→やっぱり付き添いがいないと登校したらだめってのも、直前になって言われたんだって。
離婚しても毎日ヘルパーしてたお母さん、どんな気持ちだったんだろな。
ほんとに、どうにもならないのかなって思う。 一応わたしは一時的な手伝いで、今後はプロがつくみたい。
そしたらなにかが変わるかな。変わるといいけど。
人生にはいろいろなことがあるけど、 あまりにも衝撃的に嫌なことでした。
でも人生だから、まだまだ彼女には続きがあるんだな、、、。 世知辛い、世知辛いです。
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その後彼女の父とはFacebookで友人になりました。
彼女の父は仕事をやめて非営利団体活動として障がいのある子の共生社会をめざした活動をしており、いまもたたかっているようです。
彼女はもう中学生になりました。
私自身ではなにも力が及ばないしなにもできないけど、Facebookの彼女の笑顔を見ては、あのひのことをぎゅっと思い出します。
わたしもかつて小さいころは先生からもひどい差別といじめを受けていました。
家庭環境のこと、容姿のこと、海外へ行っていたことなどをひどく言われていました。
人生はいろんな出会いがあり、つらいことも、楽しいことも経験します。
ある程度歳を重ねないと、こういったところから逃げられないよね。
私は記憶力が悪く生まれてよかったと時々思います。
こういった経験が、さまざまなところで人を信じることや、人生を楽しむことについて臆病になってしまいます。私もそうです。
人生を楽しんでいくことは人生がつらかった過去にとらわれ続けないことが必要だと感じています。
もっともっと前向きに考えていけるよう、今年は毎日をハッピーに考えていきたいですね。