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恋とキャリアと現実の話〜損害賠償と恐喝を添えて 退職者 Advent Calendar 2017

この投稿はアドカレ用日記です↓

adventar.org

 

今の会社のこと

もともと理系じゃないし、プログラムが書けるわけでもない。

色々あって転職は4回くらいしてるんですが、今務めている会社に入社しました。

前職での経験と比べると業務自体はものすごく難しくなった。

優秀な人ばかりで私は最低な落ちこぼれだけど、社長はとにかく最高でかわいい。

勉強するための教材や資料はとにかく多くて、とにかくレベルが高い。

成果を出せるまで辞めたくないので、まだまだ組織の中では一番の下っ端だけどいつかは堂々と出て、私みたいな人間でも誰かを勇気づけられたらなと思って頑張ってます。

 

そう思うまでにあった色々なことを今日は書きます。

 今の会社のことじゃないけど、ずっと吐き出したかったのでこっちの方が本題。

 

カメラマンアシスタント時代

私は東京に何しに来たのかというと、カメラマンになりたくて上京しました。

その昔大好きだったカメラマンに「俺のとこでアシスタントやってよ」と言われほいほい上京したところ、数週間前になって「お前なんか雇うわけねーだろwww」とメールが返ってきて目の前が真っ青になったのが私の上京物語の始まりでした。

それから幸いカメラマンアシスタントを募集している会社がすぐに見つかったので結局上京しました。

でもカメラマンを夢見た1年間は、奴隷生活のような日でした。

起きてすぐ自転車で出勤、翌日2時まで仕事して、帰って寝る。夏の電気代はたったの2000円でした。家にいなかったので。

ご飯に行けばいっぱい食えと牛丼の特盛におにぎりが3つ渡され、それを食べきるまで仕事するなと言われたり、なにか新しい服を買わないのか聞かれてお金がないので我慢というと、社長の前でよくそんなこと言えるねと言われたりして。

夢なんてみるもんじゃあない。つらく悲しい1年でした。

写真は楽しいけど、私には写真業界を続ける体力と気力は残りませんでした。

「メンタルが弱い人は最初から言ってほしい、騙された気分。おめーのことだよ。」と10歳上の女性事務員に言われたことは今でも忘れられないし、勤務や人間関係はつらかった。

けど写真の世界で少しだけ生きていけたのはすごく楽しかった。そう思うようにしています。写真を嫌いになる前に手放せて私は幸せでした。

それから失業保険をもらって生きていた地獄のような半年間は、実家に帰りたくても帰れない貧困女子でした。298円の袋ラーメンを買って一週間を過ごしてましたが、正直カメラマンアシスタントの時代より失業保険のほうがお金を貰えました。最低賃金以下だったので。

ハローワークに通ってやっとの思いで就職した先、そこは委託系IT土方でした。

 

はじめてのITサービス業界

英語がちょっとできたので、外資系ヘルプデスクに入りました。

ヘルプデスクはとっても楽しかった。英語は難しかったけど楽しく2年ほど経験しました。

マニュアルを整備したり、社内ポータルを整理したり、社内システムのアカウント管理をしたり、AD管理をしたりしていました。

親切な人が多くて、秘書も穏やかな方が多かった印象です。OSやメールDBのアップグレードやら避難訓練や引っ越し、機器棚卸など総務的なこともなんでもやりました。

損害賠償と恐喝について

さてその時の会社なんですが非常に狂った社内規定がありました。

正社員なんですが「客先に入ってない期間の給料は1/3になる」という規定です。

「でも、すぐに見つけるから大丈夫!」と言われてたのと、カメラマンアシスタントからその会社の内定をもらえるまで半年も無職だったので、まあ大丈夫やろと思ってました。でもそんな日が3か月続いて全然大丈夫じゃなかった。

実はその前にも2か月そういう時期があったのですが、社長から3万円の百貨店の金券を渡されたことがありました。「お給料はあげられないけど、特別にね。これはほかの社員には内緒」と言われて渡されたお金は正直めちゃくちゃ気持ち悪かったけど普通に使いました。

社長は「もっと活躍できる会社があるからもったいない」と言われてましたが、3か月7万生活は思った以上につらかったので、辞職を申し出たところ恐喝されました。

「言ってる意味がわかってるんですか」「人間不信になる」「血を血で洗う覚悟がありますか」と言われた東京駅。

辞職にそんな覚悟いらないので、どうしても辞めたい旨伝えると損害賠償を請求すると二時間詰められました。全部録音したけど労基はなにもしてくれませんでした。

アベノミクスでいまはもうちょっと変わっているかもしれませんが、当時は警告しかできないんだよと言われて帰されてしまいました。ちなみに有給が半月ありましたがなぜか退職願の一か月前を離職日にされました。

極めつけの嫌がらせは、離職票を実家に「本人限定受取」で送付されました。

ただでさえお金がないのに愛知の実家まで取りに行くのは不可能だったので、いろいろ頑張って東京で受け取りました。

それから数年たって転職サイトに書いた私の投稿は何かしらの形で削除され求人されていますので、たぶんまだ会社は存命のようです。すごいですね。 

 

「恋愛と転職活動は似ている」とはよく言いますが、正解がなくてもなるべく失敗したり後悔はしたくない。

今の会社で認められたいので来年も頑張りたいですね!宜しくお願い致します。